| 1874年 | 夏−秋 |
- 【グロリア・スコット号】(思い出)
- ヴィクタァは僕がカレッジにいた2年間に得た唯一の親友なんだ。
- 最後にヴィクタァは僕を、ノーフォクのドニソープにある親父の家へ招待してくれたので、
- 以上はながい休暇のはじめの1ヶ月内に起こったことだ。(略)だが秋もだいぶ深くなり、休暇の終りもまぢかくなってから、
- 【マスグレーヴの儀式】
- それというのが学生時代の最後の1年間に、僕が探偵をやるという話がかなりうわさにのぼったのが原因なのだ。
【マスグレーヴ家の儀式】から逆算して。 |
| 1878年 | ? |
- 【マスグレーヴ家の儀式】(思い出)
- 卒業後はその男ともたえて会ったことはなかったのだが、4年目のある朝、ひょっくりモンタグ街の僕のところへ姿を現わした。
- 【覆面の下宿人】
- 23年にわたるシャーロック・ホームズの社会活動のうち、17年間というもの彼に協力し、
ワトスンとの出会いから逆算して。 |
| ? | ワトスン、ロンドン大学で医学博士の学位をとる。 |
| 1881年 | 1−2月 | ホームズとワトスンの出会い。ベーカー街で同居を始める。 |
| 3月4日 |
- 【緋色の研究】
- すこしわけがあって覚えているのだが、3月の4日であった。
ワトスンが参戦した第二次アフガン戦争(1878−80)から考えて、おそらく1881年頃。 |
| 1883年 | 4月初旬 |
- 【まだらの紐】(冒険)
- 1883年4月はじめのことであった。
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| 1887年 | 4月 |
- 【ライゲートの大地主】(思い出)(叡智)
- この話は1887年の春、
- 記録をくってみると、(略)4月の14日となっている。
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| 夏 |
- ワトスン結婚。
- 【ボヘミアの醜聞】
- 私の結婚が2人のあいだを遠ざけたのだ。(略)はじめて一家のあるじとなった者が、(略)私の心を奪いさるに十分であった。
上記から、これがワトスンの初婚らしいことがわかる。
- 【オレンジの種五つ】
- 妻がおばの家へ泊まりに行ったので、
上記から、このワトスン夫人には親戚があり、つきあいもそこそこあるらしいことがわかる。 |
| 9月下旬 |
- 【オレンジの種五つ】(冒険)
- 1887年という年は、私たちに興味深い事件や、さほどでもないものを数多く提供してくれた。
- 9月下旬の、例年になく強い彼岸嵐の吹きあれているときだった。
なぜか【四つの署名】を知っている。 |
| 1888年 | 3月20日 |
- 【ボヘミアの醜聞】(冒険)
- ある夜――詳しくいえば1888年3月20日のことだが――
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| 4月 |
- ワトスン離婚。
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| 7月 |
- 【四つの署名】
- 「1878年の12月3日でございますから、やがて10年にもなります」
- 「今から6年ほどまえ、1882年の5月4日のことでございます」
- ――ロンドンの南西区局の消印で7月7日づけか。
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| 8月1日 |
- 【ボール箱】(挨拶)
- やけつくような暑さの8月の1日、ベーカー街はまるで炉のなかにいるようだった。
- 「君が『緋色の研究』とか『四つの署名』とかの題で記録してくれた事件とおなじで、
【四つの署名】より後の事件。お金が無いとぼやいているところをみると、【四つの署名】直後の事件ではないだろうか。 |
| 秋 |
- 【花嫁失踪事件】(冒険)
- 私自身の結婚に先だつこと2、3週間、まだベーカー街の家にホームズと共同の生活をしているころのことだった。(略)強い秋風さえ加わって、
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| 秋−冬 |
- ワトスン結婚。
- 花嫁はもちろん、メアリー・モースタン嬢。
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| 1889年 | 2−3月頃 |
- ワトスン開業。
- 【株式仲買店員】(思い出)
- 結婚後まもなく、私はパディントン区に医者の株を買った。
- 開業して三月というもの、私は仕事に一生懸命で、(略)だから6月のある朝のこと、
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| 6月初旬 |
- 【株式仲買店員】(思い出)
- シャーロック・ホームズとはまるきり会う所とてもなかったのである。だから、6月のある朝のこと、
- 「久しぶりだね、奥さんも例の『四つの署名』事件では
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| 6月初旬 |
- 【ボスコム谷の惨劇】(冒険)
- さて、こんどは事件のほうだ。この月曜日、というから6月3日になるが、
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| 6月19日 |
- 【唇の捩れた男】(冒険)
- ある晩――1889年の6月であったが――
- 「金曜日です。――6月19日の」
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| 6月下旬 |
- ワトスン離婚。その直後にまたもや結婚。
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| 7月 |
- 【第二の汚点】(帰還)
- ある年とだけで、18何十年代のこととすらいえないけれど、その年の秋の火曜日の朝。
【海軍条約文書事件】によると1889年の7月の事件である。 |
| 7月 |
- 【海軍条約文書事件】(思い出)
- 私の結婚直後の7月は、3つの興味ある事件があったので、私には思い出が多い。
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| 8月 |
- 【技師の親指】(冒険)(叡智)
- 私がこれから話そうとする事件の起ったのは1889年の夏、私の結婚後まもないころであった。
【海軍条約文書事件】の記述より、7月の事件ではないことがわかる。 |
| 冬 |
- 【花婿失踪事件】(冒険)
- 「ああ、忘れていたが、君とはずいぶん久しく会わなかったんだね。こいつは例のアイリーネ・アドラーの写真事件で、
【ボヘミアの醜聞】より後の事件。
【赤髪組合】【青い紅玉】の記述より、それ以前の事件であることがわかる。冒頭で暖炉を囲んでいたので冬。 |
| 12月27日 |
- 【青い紅玉】(冒険)
- クリスマスがすんで2日目の朝。
- 「僕がアイリーネ・アドラーから写真をとりもどそうとした事件、メリー・サザーランド嬢の奇妙な事件、唇の捩れた男の事件などをさすのだろうが、
【花婿失踪事件】より後の事件。 |
| 1890年 | 初春 |
- 【椈屋敷】(冒険)
- 春まだ浅くうそ寒いある朝のこと、
- いつかの青い紅玉事件なんかも、はじめはつまらないいたずら気分だったのが、
【青い紅玉】事件より後の事件。 |
| 10月 |
- 【赤髪組合】(冒険)
- 去年の秋のある日のこと、訪ねてみると
- 「1890年の4月27日だから、ちょうど2カ月まえの『モーニング・クロニクル』紙だ」
- 「ことのおこりはこの広告からです。ちょうど8週間前のこの日でした」
- 『赤髪組合は解散したり。1890年10月9日』
依頼日は6月末頃ともとれるが、依頼人がの貼り紙に驚いてホームズのところへ直行していることと、冒頭の記述から10月の事件だろうと思われる。 |
| 11月 |
- 【瀕死の探偵】(挨拶)
- 私が結婚生活に入ってから2年目のある日、
- 霧のかかった11月のうす暗い光のなかで、
1888年の結婚が代表的なので。 |
| 1891年 | 4月24日 |
- 【最後の事件】(思い出)
- 同年の冬から翌1891年の早春にかけて彼がフランス政府の依頼をうけてある重大な事件を調べていることは、新聞で承知していたし、
- だから同年4月24日の晩に、とつぜん私の診察室へ彼が姿をあらわしたときは、
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| 189?年 | ? |
- ワトスン離婚。
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| 1892年 | 3月下旬 |
- 【ウィステリア荘】(挨拶)
- 手帳をみると、これは1892年の3月も終りにちかいころ、冷たい風のふきすさぶ日のこととなっている。
ホームズは失踪中だが? |
| 1894年 | 4月 |
- 【空き家の冒険】(帰還)
- ロナルド・アデヤ卿が不可解きわまる情況のもとに殺害されて、(略)上流社会を震えあがらせたのは、1894年の春のことだった。
- そしてホームズの失踪後3年目の4月のある宵、彼から聞かされた話であるが、
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| 夏 |
- ワトスン、医院を売り払い、ホームズと再び同居。
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| 夏−秋 |
- 【ノーウッドの建築士】(帰還)(叡智)
- これを話しているのは、ホームズが3年の失踪から帰って数ヶ月後のことであるが、
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| 11月下旬 |
- 【金縁の鼻眼鏡】(帰還)
- 1894年の1年間に私たちのなしたる仕事を記録した、かさばった3冊の手記を手にとってみて、
- それは11月も終りにちかい、ひどい嵐の夜であった。
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| 1895年 | 4月23日 |
- 【美しき自転車乗り】(帰還)
- 1895年の記録を繰ってみると、私たちが初めてヴァイオレット・スミス嬢のことを知ったのは、4月23日の土曜日となっているが、
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| 5月中旬 |
- 【プライオリ学校】(帰還)
- いなくなったのは5月13日、この月曜日の夜中です。
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| 7月初旬 |
- 【黒ピーター】(帰還)
- 1895年度ほど、精神的にも肉体的にもシャーロック・ホームズの好調だった年はなかった。
- この年7月の第一週に、ホームズはしばしば長時間単独で外出したから、また何か事件を手がけているのだなと分かった。
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| 11月14日 |
- 【ブルース・パティントン設計書】(挨拶)
- 1895年11月の第3週、ロンドンは濃い霧がふかくたれこめていた。
- 最初の日はホームズも、(略)だが4日目の木曜日ともなると、
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| 1896年 | 年末 |
- 【覆面の下宿人】(事件簿)
- ある朝――1896年も押しつまってからのことだが――
この時、ワトスンは一時的にベーカー街を離れている。 |
| 1897年 | 3月16日 |
- 【悪魔の足】(挨拶)
- さて、ホームズの鉄のような健康体が、(略)1897年の春のことだった。
- 3月16日の火曜日に、朝の食事をすませたばかりで、
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| 冬 |
- 【アベ農園】(帰還)
- 1897年冬の、霜のおりたひどく寒い早朝のことである。
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| 1898年 | 7月下旬 |
- 【踊る人形】(帰還)
- 昨年の50年祭には私もロンドンへ出てきましてね
- ところがちょうどひと月ばかりまえ、6月の終りごろになって、
訳注によると、1897年にヴィクトリア女王即位50年祝賀祭があったとのこと。 |
| 1899年 | 夏 |
- 【隠居絵具屋】(事件簿)(叡智)
- 隠退したのが1896年で、翌97年の早春、彼は(略)それから2年たつやたたないのに、
- というわけで私は、ある夏の日の午後、
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| 1902年 | 6月30日 |
- 【3人ガリデブ】(事件簿)
- それは南アフリカ戦争の終結直後、すなわち1902年6月の最終日のことであった。
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| ? |
- ワトスン結婚。
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| 9月3日 |
- 【高名な依頼人】(事件簿)
- この話のおこりは、1902年の9月3日に、この寝いすにならんで横になっていた時にさかのぼる。
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| 1903年 | 1月 |
- 【白面の騎士】(事件簿)
- 手帳をみると、私が(略)ジェームズ・M・ドッド氏の来訪をうけたのは、1903年1月、ブーア戦争の終結直後のこととなっている。
ブーア戦争(南ア戦争) 1899〜1902年。 |
| 9月6日 |
- 【這う男】(事件簿)
- 私がホームズから簡単な電報をうけとったのは、1903年9月初旬のある日曜日の夕刻のことだった。
1903年9月初旬の日曜日は6日のみである。 |
| 190?年 | ? |
- ホームズ、隠退してサセックスへ。
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| 1907年 | 7月30日 |
- 【ライオンのたてがみ】(事件簿)
- 1907年の7月末、ひと晩ひどい暴風があって、
- 「火曜日は今日です。今晩私はフィツロイに会うはずでございました」
1907年7月の最終火曜日は30日である。 |
| 1914年 | 8月2日 |
- 【最後の挨拶】(挨拶)
- それは8月2日の夜9時のことだった。世界の歴史にもっとも恐るべきあの8月のことである。
1914年7月 第一次世界大戦勃発。8月4日、英が独に宣戦。 |